過去、過ちを犯してしまい、「自分をゆるす必要ってある?!ないでしょ!!」
そんなあなたの声にと書いたのが、この記事です
……つらいお気持ち、お察しします……
自分を、必ずしもゆるさなくてもいいのではないでしょうか…
ただ、
過ちの本当の原因を解き、
原因への理解や、
過ちを犯した自分に寄りそうことが、少しでもできたなら…と、私は、思います…
…思い出して、凄くつらくなるとき、ありますよね…
そんなときは、
このサイトの別のページ
「過去の自分がゆるせず苦しいとき…」
を読んでみてください。
もしくは、信頼のおける人と、別のことでもいい、話をしたり、
一度、違うことに集中した方がいいかもしれません。
とにかく、ご自愛ください。
あなたのことを私は思っています。
(私は、医師やカウンセラーではないです。一個人の意見・考えとして、お読みください。
私のことについては、後述しております。また、このページ右上の「零(れい)のプロフィール」もよろしければご覧ください。)
1、自分をゆるす必要性と、原因への理解 〜二つの声への返答〜
(1)「そもそも自分をゆるす必要ってある?!」
その声に、私ならこう応えます。
「ゆるす必要は必ずしもありません…
だけど…
原因を理解して、生かした方がいい…」。
なぜそう応えるのかを述べる前に…
今のあなたは、「ゆるせない」が強いのではないでしょうか…?
「ゆるせない」「ゆるしてほしい」(「ゆるさないといけない」)
それぞれの、苦しみがある……
「ゆるせない」。
すでにその原因がわかって、理解して、日々をすごしていても、
変わらず、自分をゆるす必要などないと思っているのなら、
(2)に進んでください。
私が「ゆるす必要は必ずしもありません…」という理由は…
心を義務で縛って、心の奥底から、その通りにゆるせるようになるものでしょうか…?
確かに、ゆるせた方が、いいと思います。ゆるし、ゆるされて、やすらかである方が良いでしょう。
でも、だからといって、
「自分をゆるさなくてはならない」
そのようにもし思ったら、より一層、苦しくなりませんか?
「ゆるさないといけない」と、心の中を義務で縛るよりも、
原因を解き、理解して生きる日々の中で、
「いつか、もしかすると、少しは、ゆるせるかも……」など、心が自然に移り変わっていくゆとりがある方がいいのではないでしょうか?
(2)「理解?何のために!?私に必要なのは、罰だけ。」
必要なのは、罰…
そうかもしれない…
罰しても罰しても、とり返しがつかない
その罰の先にあるのは… 何でしょう…?
あなたのいう、その罰は、その罪は、どのくらい罰すれば、終わるのでしょうか?…
どんな言葉も、あなたの、自分をゆるせないという思いの前には、何もなさないのかもしれません
でも、いつか、過去の自分に少しでも寄りそってみてください
場合によっては、あなたの中の、悔いているあなたを、抱きしめてあげてください
過去の自分に寄りそってみてと私が言うのは、なぜか…
それは、私自身、過去にどうしようもない過ちを犯しており、
過ちから長い年月を経て、今、そう思っているからです…
私の場合は、過ちの原因の一つは、「武士のように耐え忍び、責務を全うする」。
そんな自分の中のイメージを、幼い頃から旨としていたことです。
耐えることがまるで美徳だった。
自分というものをなくすようにしていた。
自分の素直な思いがあってこその全てなのに…
過ちを犯した後になって初めて、要らないものだと気づいて、「耐え忍ぶ」なんて、かなぐり捨てました。
でも、失ったものは、戻ってきません。
どんなに後悔しても、罰しても、戻ってきません。
原因を理解したはずなのに、
結局、同じ過ちを繰り返してしまいました……
あとになって分かったことですが、原因は他にもありました……
原因を理解することや、それを本当に生かせるようになるまで、長い年月をかけてしまいました……
過ちから得た、かけがえのないことを、今、私は生かしていくんです。
またくじけそうになっても、くじけても、また歩き始めるんです
原因をつくり続けていた過去の私を、今も、ゆるしきってはいません
ただ、少し、寄りそいはしました…
ゆるさなくていいけど、
ゆるさないままだと良くはないな…というのが…感覚的に、あります…
あなたが過ちを犯してしまったのも、きっと、深い理由がある……
なぜ、理解や寄りそうことを少しでもした方がいいのか?…
その理由は、
「ゆるせない」としている自分と、「ゆるしてほしい」という自分と、
つまり、一つの心の中で、二つに大きく強く分かれてしまっているからです
そして、「ゆるせない」という思いは、なかなか満たされるものではない
あなたの中の、「ゆるしてほしい」という、ごく小さい声は、聴こえていますか……?
私の場合、自分を「ゆるせない」と強く思っていたので、まさか、「ゆるしてほしい」という思いが自分の中にあるなんて、長い間、思いもよりませんでした…
元々、心の中というのは、いつでも全くの一つということではないと思いますが、
分断や対立などなく、やすらかにつながっている方が、良いのではないでしょうか…?
分断や対立などなく、やすらかにつながっている方が、どうして良いのか…?
やすらかにつながっていれば、やすらかにつながっているほど、動きやすい、本来の自分に近くなっていくのではないでしょうか…?
分断などなく、やすらかで、動きやすい状態になると、どうなるでしょうか…?
あなたがやすらかであれば、全て=世界が、やすらかにつながっていく……
それは、あなたが、全てに通じているからです。
あなたの存在もまた、全てに通じている、とても大切な存在…
私はそう、思います…
2、苦しみへの、日ごろのアプローチ(取りくみ方)
次の3つのアプローチは、いかがでしょうか?
(1)自分を大事にする
これは、全てを忘れてしまう、自分を無駄に甘やかしてしまうということではありません。
理解したことを、しっかりと生かすためにも「自分を大事にする」んです。
自分を責め続けて、心が冷えきってしまっていると、何も気づけない…ですよね…?
日ごろから、自分を大事にしているからこそ、何かに気づくこと、そして、理解したことをしっかりと生かすことができるのではと思います。
(私の場合は、そもそも自分を本当に大事にしてさえいれば、自分にとって本当に大事なものが何なのかわかってさえいれば、間違いを犯すこともなかったと、強く、思っています。)
具体的な方法としては…
ホッと一息つきたいなぁと思ったら、ホッと一息つく。
〇〇(お店)のチョコレートが食べたいなぁと思ったら、今はダメだけど、休日に買いに行く…とか…
その時々に感じること、思うことを、できる範囲で実行してみましょう。
ちょっとした、日々の声こそ、大事だと思います。
(2)できることをする
(1)と少しかぶってますが…
小さいことでいい。
うまくいかないこともあるかもしれません。けれども、何もしなかったときよりも、きっと何かを得ているはずです。その積み重ねが大切なのではないでしょうか。
意志の力に頼ろうとせず、場合によっては、習慣化を検討してみても、いいかもしれません。
もしお気が向かれましたら、習慣化について、以下の森嶋ヒロツグ氏の動画をみてみてください。
【保存版】絶対に継続出来るようになる!習慣化のコツ
【脱!三日坊主】たった一つの習慣化のコツ(考え方)
(3)受け入れていくその先へ
私の場合は、長い年月をかけていますが、
今も自分をゆるせず……
それでも、新たに至ったことや、
新たに、感じはじめたことがあります…
新たに至ったのは、
「『ゆるさない』の私」と、「『ゆるさない』の私をそのまま受け入れた私」……
その両者への、小さな献花……
(これについては、いつか述べられたらと思います)
そして、
新たに感じはじめたことは…
唐突ですが、
宇宙ができてから現在まで、138億年経っているそうです。
………………………………138億年………………………………
………それを前にして
………ただただ圧倒される、とか、何かを認めざるを得ない………というような感覚
また他にも、
例えば、大きな滝や、大きな木…などを目の前にして、
ただただ圧倒される、とか包まれる………という感覚、経験……
ただただ圧倒される、とか包まれる………
そこにあるのは、「あるがまま」
「否定ではなく肯定」。
いえ、肯定というより、
その「存在」が、自分や、全てを、受け入れているのだと感じる……
自分や、全てが、その「存在」に、受け入れられていると感じる……
なにより…
……………………思考も、言語も、およばない世界………………………
そして、私もそういう「存在」の一つであるということ……
私はそう感じるようになったんです…
小さなものにも、偉大さを感じることもあるでしょう……
あなたが、「ゆるせない」という思いですごしているいつもの世界から、一度、気が向いたら、実際に出てみてください。なにか、魂の鼓動を聴いてみることをお勧めします
きっと、あなたも、あなたにしか感じ得ない、なにかを感じるでしょう
そしていつか、そんなお話ができたら、そんな輪が広がったら、どんなに素晴らしいことでしょう
この記事の要点
・必ずしも自分をゆるす必要はないが、
原因を理解し、
いつか、できれば少しでも、自分に寄りそいましょう。
・日ごろから自分を大事にし、できることをしましょう。
あなたは今、どんなお気持ちでいらっしゃるでしょうか……?
この記事が、少しでもお役に立てたならいいのですが……
どうかご自愛ください
あなたの道、私の道、皆さんの道が明るく開けていくことを、私は祈っています
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ここまでお読みいただいて、有り難うございました
記事を上げていくペースはかなりゆっくりですが、よろしければまたご覧くださいませ。
このサイト「闇も光も 」でお会いしましょう。
零
以下が、このページの画像の引用元です。
画像を貸してくださった方々、素敵な画像をどうもありがとうございます。
ろうそくの画像:David Tomaseti様
夕陽と海の画像:Malachi Brooks様
海辺で両手を広げている人がいる画像:Fuu J様
芝生に赤いハートの画像:engin akyurt様
緑の葉の画像:ページが見当たらなくなり、お名前が不明です。
(以前のページ:ash-from-modern-afflatus-NQ6Lh81BTRs-unsplash)
虹の画像:DIEU様
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